一人一人がありのままでいい!◎自分を生きていい!

アダルトチルドレンのワークを進めるにつれ

自分自身が変わってきたと思える事があります。

それは、本当は初めから、このままの自分、ありのままの自分でよかったのかもしれない…という思いです。

これまでは、人と比べては自分のできていないところに容赦なく批判をあびせてきた私ですが、その声が少しずつ小さくなってるとはたと気づきました。

そして、本当は誰とも比べる必要はなく、劣等感を抱く必要もなく、私は私でいいんだ!という真実が見え隠れするようになってきました。

これまでは、大勢の人の中にいくと自分を見失い、会話を楽しめず、疲れて心がモヤモヤしていたのが、今日は以前よりモヤモヤが減って、疲れもそれほど酷くはないことを実感しました。

これは、自分の気持ちを自分で聞き、受容している結果なんだと思います。誰かに認めてもらえなくても、自分で自分を認めているし、ねぎらっているし、気持ちを分かっている…というのは、もう他者から自分を認めてもらわなくても自前で満たされているという事なんですよね。

このままの調子で自己受容を深めていったら、本当に人間関係が楽になるだろうなぁ…という確信を得ています。自分がどんどんOK!になっていくから、他社もOK!になっていく。

本来、私達一人一人、素晴らしい個性の中で、イキイキと生きていていいのですよね。

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そもそも、いつから自分はダメ!と思ってしまったのでしょうか?

私の場合、お勉強が入ってきた小学生になってからだと思うのです。

小学生になる前は、それなりに自尊心はあったように思います。

近所に豆腐屋がくると、よくボールを持ってお豆腐を買いに行ったものです。

そうすると、父がニコニコしてとてもほめてくれました。

たったそれだけのことでも、どんなもんだい!と鼻高々だった気がします。単純です!

それに、父親には高い高い!とかやってもらって可愛がられたし、魚好きだった父から、魚をほぐして食べさせてもらったりしていましたから、自分は大切にされているという実感がありました。

父にだけは愛されているという、揺るぎない感覚は幼い頃に植え付けられたのでしょうね。

しかし、学校教育の中で、みな同じスタートラインに立ち、ヨーイ、ドン!で同じカリキュラムの中で学び、優劣をつけられ、勉強が苦手だった私は劣等感を抱くようになってしまいました。 そして、だんだん周りの友達との貧富の差にも気づき始め、恥ずかしさや卑屈さを感じるようになりました。
どうしたら、学校教育の中で自信を失わずに、自分らしく自尊心を持って生きられるのだろう…
これからの子ども達が、一人一人自尊心をもって、
人と比べることなく、自分が自分であることを誇りに思い、この人生を存分に楽しみ、人に思いやりをもって生きられたら…こんなに素晴らしいことはないと思うのです。
幼い頃から、個性を活かしていく教育だったら、
自分の興味のあることを、とことん学べたら…
どんな世界になっていくのだろう…
自分が自分としてこの世界に必要とされ、用いられたら
みんな幸せになれるのにって思う。


私の育った家庭は、小学校低学年位までは、割と落ち付いていたと思うのですが、引っ越しして母が働きに出た小学校3年生位から、だんだん家庭の中が荒れていきました。

本当に人様に言えないくらいに荒れていて不安定だったし、幼い頃感じていた自尊心はだんだんとなくなっていきました。
小学生の頃は、とにかく運動と音楽が大好きで、評価されるのはいつもその2つだけ。算数なんてちんぷんかんぷんで、大の苦手!もう、本当に大嫌いだった。
父がアルコール・ギャンブル依存だったから、母はとても苦労していた。

貧乏だったけど、とりあえず給食費は払ってもらっていたし、洋服もそれなりに普通の物を着せてもらっていたから、ひどい貧乏だというイメージは持たれていなかったと思います。

でも、汚くて狭い団地に住んでいたから、いつも道向こうの一軒家の住宅街に住むことに強い憧れを抱いていました。
今、振り返ると、私自身も発達障害児だったように思うのです。片付けも下手だったし、忘れ物も多かった。
ADHDの要素もたっぷりあると思います。


だから、学校に入ってからどんどん自信を失って、

自分なんかどうせダメな人間!って思っていました。
自分は自分であっていいわけがない。
生まれも育ちも悪くて、恥ずかしい自分。
勉強は苦手だし、よくミスするし、いいところなんて全然ない。
誰にも認めてなんてもらえない。
生きてる価値なんてない!
なんで、私は生まれてきてしまったのだろう…
あぁ~少しずつ自己受容ができるようになっても、まだこう思う自分がいるなぁ…

最近読んだ本で、アスペルガーのお子さんがコーヒーの焙煎士になったという本を読みました。

その中で、とても響いた言葉がありましたので紹介させて頂きます。

響さんは、響さんで完成されていてすばらしいわけだから、それを、あなた流に教育しよう、育てようとしちゃうから、お母さんもこんがらがって悩んでしまう。

「15歳のコーヒー屋さん、発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ」岩野響著より引用

響さんは響さんで完成されていて素晴らしい!

「15歳のコーヒー屋さん、発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ」岩野

感動しました!

アスペルガーである響さんが、中学を卒業して焙煎士に至るまでのことが書かれています。

みすずさんの みんな違ってみんないい!の言葉が浮かんできました。

響さんは、響さんで完成されていてすばらしい…

沁みる一言です!

私は、自分も子どもも、この世間のレールにのっていたい、

のっていて欲しいと思いました。

それが、人に認められること。

それ以外の生き方なんて、全然ダメじゃん!って思ってた。

でも、我が娘の生き方、響さんの生き方を通して、

個性を活かし、自分のやりたいことに進んでいけばいいのだと、

他人軸から、自分軸の生き方を教えてもらったのです。

また、動画で見た東後勝昭先生の言葉も、とても心打たれました。

みんな子どもをいい学校に入れて、いい仕事につかせたいと思っているかもしれないけれど、それぞれ神様から頂いた賜物が違うという例で…

「どんなに一生懸命磨いてもね、

 瓦は鏡にはならないんですよ。

 でもね、

 瓦は瓦でなきゃいけない場所がある。

 自分は瓦だけど、瓦として神様に用いられている  

 という恵み。」

ハーベストタイム 「ことばとこころ」
東後勝昭先生より

東後先生は、瓦は瓦でなきゃならない場所がある…

ここにくると、胸が一杯になって涙が込み上げてくるとおっしゃっていました。

きっと、皆さんもここに感動されるでしょう。

もちろん、私も…

瓦は鏡にはなれない。どんなに磨いても磨いても…

でも、瓦は瓦としての働きがあるから

瓦に徹して生きればいいのですね。

自分は瓦として、この世界に生まれ出され、瓦としての使命を果たすために命が与えられているのだから。

瓦がなかったら、大変なことだ!

瓦は、家を守る重要なものだ!

だから、私は私としての使命があるから

人と比べず生きていいんだ。

自分らしさを誇って生きていいんだ。

そう、だんだん思えています。

自分らしさに生きることが神様が喜ばれる事なんですよ、きっと!

だから、唯一無二の自分を誇って生きましょう。

今日、ここから…

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