先日、久しぶりに親友と語らいの時を持ちました。
家の近くに、金曜日だけケーキ2個とフリードリンクで756円というケーキ屋さんがあって、そこで3時間位
泣いたり笑ったりしながら、おしゃべりしました!
その親友とは、8年ほど前にパート先で出会った方で
まさか、こんなに何でも深く語り合う仲になるとは想像だにしていませんでした。
でも、この方に出会って、私の価値観は変えられていく事になるのです。
広告
私は機能不全の家庭で育ち、母親の愚痴を幼いころから聞いてきました。
精神面で親子逆転していた為、いつも私が母のなだめ役。いつも母を心配して生きてきました。
中学生の頃、母が夜にたばこを買いに行くと言い出し、
事故にでもあったら大変だ!と思った私は、母を自転車の後ろに乗せてたばこを買いに出かけました。
しかし、帰り道でカーブに差し掛かった時、勢い余って後ろに乗っていた母が仰向けに吹っ飛び、後頭部を強打してしまいました。
まだ、私も若くて体力有り余っていたのでしょう!
慌てて自転車から飛び降り、母に声を掛けましたが返事がない!
意識ないじゃーん!!!!!!!!
ど、ど、どうしよう!母が死んじゃった!とパニックになった私は、近くの知らない家の呼び鈴を押し、助けを求めました。
すると、それと同時に母の意識が回復しました。
あー生きてた!と安堵して
「すみません。もう大丈夫です!」とか何とか言って、恥ずかしさを感じながら、その場を後にしました。
私は母が生きていた事が本当に嬉しく、急いで今度は慎重に自転車を運転して家に帰りました。
家に帰ってから母の頭を見たら、大きなたんこぶができていて、髪の毛が少し剥げてしまってた様な…(-_-;)
あの時は、かっ飛ばし過ぎました。
お母さん、ごめんなさい!
広告
とにかく、そんな事件もありながら私は常に母の心配をして生きてきたのでした。
そして、母の事、やはりどこかで嫌っていました。
とにかく、愚痴がひどいのですよ。口を開ければ
愚痴、愚痴、愚痴!
あまりにひどくて、夜中に家を飛び出した事もありました。
母には、私の気持ちなんて分かってもらえない。
本当に寂しくて、寂しくて、
いつも、いつも寂しくて仕方がなかった。
そして、
何で私はあんな人の娘に生まれてしまったのだろう…
という思いが私の心を埋め尽くしていました。
だけど、そのパートの方と出会って母の事を話したり、
認知症になっていたけど、母に会ってもらったりしていく中で、その親友が母の事をこう言ってくれました。
私、〇〇子さんのこと、好きだよ!
それは、あまりにも衝撃的で私の耳を疑う言葉でした。
母の事、私も、母の周りにいる人も、母自身も
たぶん好きではなかったように感じていました。
それなのに、その親友は母の事を好きだ!と言ってくれた。
これは、私の人生にとって一番!といっていい位に衝撃的な言葉でした。
いや、きっと母の本性を知らないからそんな事が言えるんだよ!って言ったけど
その人は、〇〇子さんがどんな状態でも私は好きだ!って言ってくれたのでした。
私は、なぜか他の人から母を認めてもらえたことで、自分自身の事も肯定できたように感じました。
そういえば、カウンセリングの学びで、親を否定することは、自分を否定することだから親を否定したくない…って習ったなぁ。
私はそんな親友の一言から、癒しへの道が始まった気がします。
まだまだ、母との事は癒しが必要だけれど、少しずつ心が癒されて来ていることは確実です。
以前は母を責める事しかできなかったけれど、カウンセリングや、心の勉強をするようになって、また自分も人の子の親になって気づく事もたくさんあって、癒されてきたのだと思います。
あの時、母は自分の事で一杯一杯だったんだ。
そして、限界だったんだ。
あれが、母の精一杯だった。
母は母なりに一生懸命生きてきたし、子育ても母の精一杯をしたんだ。
それは、分かってあげよう…そんな思いで今はいます。
そして、これからはアダルトチルドレンの癒しについて
もっと深く学んで、更に癒されていきたいと願っているところです。
それを、皆さんと分かちあえればとても嬉しい事だと思っています。
今後とも、よろしくお願いします!!!!!
公告