子どもが中学2年生から学校に行けるようになり
何だか毎日が嘘のようで、夢を見ているような感覚でいました。
学校行くか、行かないかは本人が決めること…
そう思っていたから、また学校に行けなくなったらどうしよう…
とか、あまり不安はなかったです。
本当に不登校の時間が嘘だったように、学校に
通えるようになりました。
勉強は…というと、3年半、ほとんどやっていません。
当たり前ですが初めはあまりできませんでした。
でも、全然気にならなかった。
塾も行かない!って本人が言ったから、行かせなかったし。
私は、高校も半ばあきらめていたから、進む道は本人に任せていました。
中学2年は特別な事がなく、普通に過ぎていったと思います。
部活で仲良くしてくれていた友達が、とても支えになったようで
元気に通っていました。
中学3年になって、受験の事が話題に上ることが多くなりました。
私は、この子は学校という名のつく所には、もう行かない!って
言ってたけど、どうするつもりだろう…
まぁ、行くにしても私立はお金がかかるし、公立の一番レベルの低い
高校に決めてくれたら、申し分ないと思っていました。
しかし、そこからです。本人の猛追が始まりました。
私の思いとは裏腹に、勉強に身が入り始め、めきめきと
成績が上昇しました。
一時は、学年で12番という成績にまでなりました。
嘘でしょ?!だって、勉強できない私達夫婦の子。
どうなってんだー???
初めは、英語が一番できなかったけど、気がついたら
一番得意な科目に変わっていました。
私は目を見張るような成績上昇に、喜びを隠しきれませんでした。
あぁ~でもこれは、子どもに依存してる証拠ですよね。
うん、でも、これくらいのご褒美もらってもいいよね?!
中学3年は、同級生とのトラブルもあったけど
病気以外は休まず通えました。
そして、本人は高校受験すると言い出し、更に受験勉強に力を
入れていきました。
あの、猛追劇は、親の私から見てもすさまじかった!
我が子ながらよくやった!と思います。
ものすごく不器用だけれど、努力しましたね。
受験期になっても、塾には行かず通信で教材を取りよせ
やっていたようです。
中学1年丸々やっていないけど、大丈夫だろうか?
そんなところまで、網羅できるの?
普通に通っていた同級生より絶対リスクが高いよね…
と、私は不安でした。
高校の合格発表は、私はとても恐くて一緒に行けませんでした。
受けた高校は進学校で、理数科と普通科とあって、理科がやりたいとのことで
理数科を希望しました。
落ちても、普通科で拾ってもらえるという素晴らしい利点もあって。
理数科の倍率は、県内でも一番高かったので、無理かも…
と思っていました。
その日は、パートの仕事が入っていたので、
内緒で携帯をキッチンまで持ち込み、子どもからの連絡を待ったのでした。
私は、仕事に集中できずに、そわそわして心が落ち着きません。
手を止め、時間を見てはを繰り返しているうちに、
ついに、ついに、携帯電話が鳴ったのでした。
私の緊張はmaxに達し、震える手で電話に出ました。
もしもし?どうだった???………
すると、電話の向こうから
”合格したよ!”
という声が聞こえたので私は腰を抜かして、信じられない気持ちでいました。
パートの同僚と喜びを分かち合って、私は人生で一番嬉しい
一日を過ごしたのでした。
子どもの高校合格が、後にも先にも一番嬉しい出来事に
なりそうです。
こうして、本人は努力に努力を重ねて高校合格できました。
ここまでくるのに、本当に多くの方々に関わって頂き、
感謝してもしきれないほどです。
子どもは、やればできる!という自信を頂きました。
卒業式は、鼻高々!
周りの先生からすごいね!と言われ、私の心は喜びで一杯でした。