子どもが小学5年生の1年間は、ほとんど学校に行けなかったと思います。
諭しても、たたいても、何をしても動かなかった。
だから、ある時、
あぁ~もう、何を言っても、やっても学校には行かないんだ…
そう理解して、無理に行かせることをやめました。
というより、あきらめた!という方が正直なところ。
それからは、もう辛い毎日でしたね。
親としたらさ、毎日、昼食も用意しなくてはいけないし、何しろ他のお子さんは普通に学校に行ってる時間なのに…って、世間体とかそりゃ気になりましたよ。
その頃の子どもはというと、髪の毛伸ばしっ放し。
何だか、伸ばせるだけ伸ばすんだ!って宣言してたから
どうぞ、どうぞ、気のすむまでやってみ!と
好きにさせてた。正直、外に出ると恥ずかしかった。
でも、子どもの思いを尊重しようと思ってたから、
開き直る心境もあったな。
見たい奴は見ろ!言いたい奴は言え!みたいな…
知り合いから、あるコミュニティのおばさんがうちの子どもの事を、モンスターみたい!って言ってたよ~って教えられて、あ~やっぱり陰口たたかれてる!って思ってとても悲しくなった。
あとは、着替えもせず1日ゲームとかね、好きなことやってたな。
私は、毎朝のように学校に電話を入れて欠席の連絡してた。
保健室の先生に相談に行ったりもしてけど、なかなかしっくりこなくて…
心療内科に行っても、親の私も励まされたいのに、かえって不安をあおる事を言われたりして、奈落の底に突き落とされる様な経験も何度もしました。
私は一体ここに何しにきているのか…
毎日、泣かない日はなかった。
もう、学校なんていいや!って思って
下の子どもも学校休ませて、家族で旅行とかいったりしてた。
子どもの不登校が半年くらいたったころ、私は口の中に白いできものが出来てしまった。
歯医者に行って診てもらったら、口腔外科に行って下さいと言われ、重病だったらどうしよう…って心配で心配でどうしようもなくなって、とても強い不安にかられてしまいました。
いろんな検査をして、結局小手術で済んだんだけど、それが大きな心のダメージになって本当に辛かった。
その頃、夜中にはっと!目が覚めて心臓が大きな音を立ててドキドキと鳴りだしたりして、先の見えない不安に駆られていましたね。
その年の8月に叔母が亡くなり、続けて知り合いが亡くなり、私の心は限界を超えてしまいました。
ある時、身体の半分が頭から足の指先までしびれてパニックになってしまい、あらゆる病院に行きましたが、結局原因不明で治療の手立てがなく辛い思いをしました。
ある時は、朝起きるとみぞ落ちのあたりに激痛が走り、息がうまく吸えず、病院に駆け込んで検査をしても異常がないと言われたり…
あの頃は、原因不明の症状をどうしていいのか分からなかった。ただただ、辛い毎日が続いていくだけ。
そんな中、年を越して2月だったと思います。
私は、手をすべらせてコップを割ってしまいました。
その時、コップの破片で手を切ってしまい、血が流れるのを見た時、「あぁ~なんて気持ちがいいんだろう。もう死んでしまいたい!」そう思ったのです。
その思いがせきを切ったようにあふれ出し、死にたい気持ちが止まらなくなってしまいました。
今にも、二階の窓から飛び降りてしまいそうでした。
私、完全におかしい!!!!!!!!!!!
そう気づいた私は、このままでは自分で命を絶ってしまいかねないと、とても危険を感じ、心療内科に連れて行ってほしいと主人にお願いしました。
そこで、診断されたのが「抑うつ神経症」でした。
「あなた、入院してもいいくらいの鬱状態よ。でも、まだ偏見があるから入院はしないほうがいいわね。」と先生に言われ、通院での治療が始まりました。
薬を飲むと、眠気に勝てなくて、本当に何もできなくなってしまいました。
子どもや主人に家事をお願いして、だた寝ているしかできなかった。時折、主人に嫌味を言われて悔しかったな。
いつも寝ていていいね~とかね。
私、心底生きていくことをあきらめたかった。
あの頃のこと、思い出すだけで今でも苦しくなる。
乗り越えたつもりでいるけど、ちゃんと心の痛みは残ってるみたい。
今、生きていられるのも多くの人に助けられたから。
自分でも、生きようって選択した。
だから、今こうしてここに書き記すことでできている。
私、生きててよかったんだよね?!