心療内科に通う前、4年生時の担任の先生から
「僕の力で学校に来させます!」
的な事を言われて、私は複雑な思いで
「そんな簡単じゃないよ!
やれるならやってみな!!!!!!!!」
って心でつぶやいていました。
どんなに立派な大学出てるか知らないけど、そんな軽口
たたくなー!って思ってた。
面談では、お宅のお子さんの成績は…
とか言って、グラフとか見せられた。
「そんなもん、聞いてないわーーーーー!」
成績なんて、二の次、三の次…
本当にどうでもよかった。
その頃はよく学校まで一緒について行って、送り届けていたな。
私、親にそんな事してもらったことないのに、なんで私がこんな事をしなくてはいけないの?
そう思うと、怒りがこみ上げてきて、自分でも自分を持て余していました。
他の子どもさんと同じようにできないうちの子。
本当に惨めで、情けなくて、子どもを責め、自分を責めていました。
よく、送り届けた後、泣きながら帰ってきたものです。
あぁ~そんな未熟な自分も情けなくて、恥ずかしかった。
しばらく、子どもと一緒に学校に行き、教室での様子を見ていたけど、うちの子が特別浮いてるとか、そういうことはあまり感じられなかった。
だから、本当に分からなかった。
なんで学校に行けないのか…
今思えば、本人にしか分からない、心の防衛だったのでしょうね。
5年生になってからは最悪?!
べてらんの女教師で、よく家庭訪問したり、お電話頂いたりと、熱心でしたね。
でも、まったく、有難くなかった。
むしろ、心底迷惑だった。
もう、関わりたくなかった。
とにかく、学校に来させようとしていたから。
毎朝の学校への電話、ものすごく嫌だった。
経験されてる方はよく分かると思いますが、本当に
朝の電話って親にとってものすごーく負担ですよね?!
家庭訪問で、子どもの顔を見たいって言われても
お断りしていた。本人が嫌がったし。
給食費も、食べないのに払ってたりしたな。
切なくて、悔しくて仕方なかった。
それでも、時々学校に一緒に行ったりしてたけど
子どもが遅れて、後ろから入ろうとすると、前から入り
なさい!って言われて、
あぁ~そんな目立つことしたくないだろうに、もう少し
配慮してやってくれって思った。
その教師の意図が、まったくわからなかった。
学校に一緒に行くと、周りの子が私達親子をちらっと
見て通りすがっていくその目が痛かった。
先生ですらね、そのチラ見の目が嫌だった。
ある子どもから「なんで母さんと来てるの?」って、聞
かれるのも辛かった。
子どもが学校に行けなくなってから、まずやった事は
心療内科に通う事でした。
心療内科に通い出して診察をうけ、テストした結果、
適応障害だと診断されました。
どうやら、バランスの悪い子で、周りの事が良く見えなくて友達とトラブルになりやすい。絵で伝えれば分かりやすいと言われ、でも、度々そんなこともできないし、どうすればいいんだろうって、本当に困りました。
心療内科では、箱庭療法や、遊戯療法といった形での治療?になりました。
毎回、カウンセラーと子どもと私で、ボードゲームなんかして遊びましたね。
でも、何の目的でやってるのか分からなかった。
説明もなかったし、私も聞かなかった。
でも、その事が子どもと私の心をつないでくれていたような気がします。あの時間は、やはり必要だったのだと思います。
私がもう少し大人だったら、もっと子どもの側にたって
歩んであげられただろうに…
あの時も、今でさえも、気持ちを分かってやれなくて、ごめんね。