子どもが不登校になって1年が過ぎた頃、
6年生になってからは、保健室登校や給食だけ
という形で学校に行くようになりました。
私も一緒に行っていましたが、保健室では
学年の違うお子さんも来ていて保護者の方と
お話しする機会も持てました。
あるお母さんは、夏でも長袖を着ていて、
その理由を私に話すのではなく、実際に目に
見える形で教えて下さいました。
小心者の私は言葉を失いました。
思わず、声を上げて泣いた!
傷跡があまりにもリアルで、痛々しくて…
わんわん泣いた!
こうやって、自分の傷とも闘いながら子育てしておられんだって思ったら、とても胸が熱くなりました。
不登校の子どもを持つ親御さんって、何かと人から責められるんですよ。
甘やかしたんじゃない?とか…ね!
むしろその逆で、規範が強いのが不登校児の親の特徴らしいです。
私はといえば、勉強に関しては教育不熱心でしたね。
でも、だらしない父を見てきたから、父のようにならせてはいけない!という思いで子育てしてきました。
それが、規範の強さとして出ていたように思います。
こうするべき、あぁするべきって、子どもの気持ちを
分からないで押し付けてしまったことも多々あります。
もう、あの時にしてしまった事は取り返しがつかないけれど。
でも、子ども自身も自分の思いが上手く伝えられない感じがあって、私もその気持ちが分からないからすれ違って、怒らなくてもいいような事まで怒ってしまった事も、今振り返れば何度もありましたね。
でも、あの時はあれしかできなかった…
未熟ゆえにあれしかできなかった。
自分が苦しさから逃れたかったのだと思います。
父の問題行動で傷ついて、また子どもの行動の中にも父と同じような状況を見て、私の人生は苦しみしかないと心底思っていました。
あの頃は、生きること、もうあきらめたかった。
でも、自分では死ねないからよくトイレに入って
殺してくれ!と神様に祈っていました。
でも、がむしゃらに回復してほしくて、いろんな事を
やりました。
心療内科に連れて行った。
カウンセリングの勉強した。
癒しの集会に連れて行った。
お高いケーキ1個だけ買った。
1ヶ月だけ家庭教師頼んだ。
毎週、電話カウンセリング受けた。
不登校回復のCD購入した。
スクールカウンセラーに話を聞いてもらった。
著名な牧師に話を聞いてもらった。
何もしないでいるということが出来なくて、不安と焦燥感からありとあらゆることをやりましたね。
もう、私は心底疲れ果ててしまいました。
私の疲弊ぶりに、ある人から、顔が依然と全然違う!って言われて、ショック受けました。
本当に、ひどい顔してましたよ。
そんな状態が3年半続きました。
その間、私自身も心療内科に通い、薬を飲みながら
この状況に耐える日々を過ごしました。
もう、どうやってきたのか自分でも分からないくらいに
がむしゃらに走り続けていました。
人の言葉に、時折傷つき倒れながらも、私はずっと
走り続けました。