子どもの不登校~④その時、親の私は…

子どもが不登校になって1年が過ぎた頃、

6年生になってからは、保健室登校や給食だけ

という形で学校に行くようになりました。

私も一緒に行っていましたが、保健室では

学年の違うお子さんも来ていて保護者の方と

お話しする機会も持てました。

あるお母さんは、夏でも長袖を着ていて、

その理由を私に話すのではなく、実際に目に

見える形で教えて下さいました。

小心者の私は言葉を失いました。

思わず、声を上げて泣いた!

傷跡があまりにもリアルで、痛々しくて…

わんわん泣いた!

こうやって、自分の傷とも闘いながら子育てしておられんだって思ったら、とても胸が熱くなりました。

不登校の子どもを持つ親御さんって、何かと人から責められるんですよ。

甘やかしたんじゃない?とか…ね!

むしろその逆で、規範が強いのが不登校児の親の特徴らしいです。

私はといえば、勉強に関しては教育不熱心でしたね。

でも、だらしない父を見てきたから、父のようにならせてはいけない!という思いで子育てしてきました。

それが、規範の強さとして出ていたように思います。

こうするべき、あぁするべきって、子どもの気持ちを

分からないで押し付けてしまったことも多々あります。

もう、あの時にしてしまった事は取り返しがつかないけれど。

でも、子ども自身も自分の思いが上手く伝えられない感じがあって、私もその気持ちが分からないからすれ違って、怒らなくてもいいような事まで怒ってしまった事も、今振り返れば何度もありましたね。

でも、あの時はあれしかできなかった…

未熟ゆえにあれしかできなかった。

自分が苦しさから逃れたかったのだと思います。

父の問題行動で傷ついて、また子どもの行動の中にも父と同じような状況を見て、私の人生は苦しみしかないと心底思っていました。

あの頃は、生きること、もうあきらめたかった。

でも、自分では死ねないからよくトイレに入って

殺してくれ!と神様に祈っていました。

でも、がむしゃらに回復してほしくて、いろんな事を
やりました。

心療内科に連れて行った。

カウンセリングの勉強した。

癒しの集会に連れて行った。

お高いケーキ1個だけ買った。

1ヶ月だけ家庭教師頼んだ。

毎週、電話カウンセリング受けた。

不登校回復のCD購入した。

スクールカウンセラーに話を聞いてもらった。

著名な牧師に話を聞いてもらった。

何もしないでいるということが出来なくて、不安と焦燥感からありとあらゆることをやりましたね。

もう、私は心底疲れ果ててしまいました。

私の疲弊ぶりに、ある人から、顔が依然と全然違う!って言われて、ショック受けました。

本当に、ひどい顔してましたよ。

そんな状態が3年半続きました。

その間、私自身も心療内科に通い、薬を飲みながら

この状況に耐える日々を過ごしました。

もう、どうやってきたのか自分でも分からないくらいに

がむしゃらに走り続けていました。

人の言葉に、時折傷つき倒れながらも、私はずっと

走り続けました。

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