精神的自立…これが今の私の最大の課題です。
子どもの問題が自分の問題になってしまって…
なかなか子どもへの依存から抜け出せない。
共依存なんだな、私。
子どもの世話をすることで、子どもに必要とされることで
自分の存在価値を見出してきたから。
それがなくなったら、自分の存在している意味がないと
思っているのだと思います。無意識に…
そうしたら、私の生きる理由なんて本当になくなってしまう。
消えたくなって当然だな…私。
大人になった子どもの手を、まだぎゅーっと握っていたい私なのです。
不登校になる子どもの親は規範型が多いと教えられています。
全てではないにしろ、そういう傾向が強いとのこと。
おぉ~まさしく私だよ!
こうでならなければだめ!がめちゃくちゃ強い。
子どもは、高校ぐらい出ておくべきだ!
まったく、そうです。それ以外道なんてあんの?って思ってた。
普通に、とか、世間並み…が大好きな私。
それが、ものすごく理想だし憧れ!
それが、人様に恥じない生き方。
安心していられる生き方。
でも、ことごとく普通からかけ離れていった。
原家族でも
自分の築いた家庭でも…
どうして私には望んだ人生がこないのだろう…
もう、完全に絶望している。
自分自身、元々規範が強いのだけど、なにせ父親を見て
きてるせいか、こうであるべき!という規範がものすごく
強化されてしまったように思うのですが…
間違いでしょうか?
子ども時代、親に依存しなければ生きられなかったか訳で、家
にお金入れてくれないと生活がまともにできない。
ということは、命の危機にさらされていた?
母の愚痴を聞くことも、私が聞いてあげないと、母が死んでし
まうかもしれない、母がかわいそう…そんな思いで聞いてあげ
てたな。でも、本当は、母が死んでしまったら、自分は生きて
いけないって思っていて、自分の身を守ることだったのかもし
れない。
こうやって考え出すと、思考が止まらなくなる。
もう、親に依存しないでも生きられているのに。
親と自分がまだ上手く切り離せていないのかもしれない。
まだ、親に依存して、満たされなかった愛に飢え渇き、求め
恨んでいるのかもしれない。
親の愛情を、今でも欲していることは自分でも分かってる。
それを、人に求めて、誰もそんな愛はくれないから人間関係が
うまくいくはずもなく。
うわべでは、いくらでも取り繕って笑っていられるけど、
本当は、虚しさをいつも感じてしまうのです。
私を愛してくれ~って、いつでも、どこでも人からの愛を求め
てしまうのです。
普通の家庭に、ものすごく憧そうれている。
私の普通の家庭の定義は…
父親が定職に就いていて、毎日働いて、きちんと生活費を
家に入れる。
これに、どれだけ憧れたことか!
安心していられる家庭環境が欲しかった。
父や母の言動で、ものすごく振り回されてきた。
今日は、おっ父がちゃんと働きに行ってくれていますように…
小学生だった私は、そんなささいな願いを胸に、学校から家に
帰る帰路で思ったものでした。
でも、車が置いてあると、今日は会社休んだんだって分かるか
ら、ものすごく気持ちが重くなった。
あの時の悲しさは、いつまでも消えないのです。
親が心を入れ替え、自分の理想の通りに変わってくいれたら
私は幸せに生きられる。もう、傷つかないでいい。
そう、信じて疑わない。
子どもだって、そう。
お前が私の理想のようになってくれ、生きてくれたら
私は安心して生きられる。私の安心や虚栄のために
回復してくれよ!
これが、私だ!!!!!!!!
なんて、やつだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう、自分の足で生きなくちゃね。
それを、子どもの病を通して突き付けられてること。
ちゃんと、親の人生、子どもの人生、夫の人生、
自分の人生を線引きしなくてはいけませんね!
今は、子ども自身も自立する時で苦しいだろう…
お母さんも悶絶中だ。
でも、信じてるよ。
本当に自立した人間になっていける事。
この、与えられた人生を謳歌していける事。
子どもに求めるより、まず自分がそうなる事。
心の重荷から解放されて、良いお手本になれるように!
いつか、そうなってみせるから!!