一難去ってまた一難!下の子どもに問題勃発!!

一人目の子どもの不登校が一段落したと思ったら

次は下の子どもに問題発生!

上の子が不登校の時、下の子は小学3年生でした。

下の子は友達にも恵まれ、仲良くさせてもらっている

お友達が、よくお宅に食事に招いてくれたり、

どこかに一緒に連れて行ってくれたりと

本当に良くして頂きました。

私は、不登校の子どもの事で手一杯で、下の子どもに

なかなか構ってやれず、罪悪感を抱いていましたから

本当に有難かった。

上の子の不登校の時、下の子はとても甘えるように

なっていました。何かしらのサインだったのでしょね。

どこかに行くにしても、ピタっ!と私のそばにくっ付いて

おびえているようにも思いました。

時には、学校に行きたくない!と言い出し、私は休ませない

理由が見当たらず、休んでもいいよ!と言って、

休ませてもいました。

どういう意味で、学校に行きたくないとか、私のそばを

離れたくなかったのか…

あの頃は、本当に心も体も余裕がまったくなくて

下の子どもの思いをしっかりと受け止めてあげる事が

出来ませんでした。

あの時、ちゃんと向き合って、あの子を抱きしめてあげてたら…

気持ちを分かってあげていたなら…

その後の結果は違ったかもしれません。

その内、思春期に突入し、反抗期が凄まじくなっていきました。

もう、どうやってここまできたのか…思い出せないくらいです。

それだけ、上の子どもにかかりっきりで、下の子の存在は

薄くなってしまっていたのでしょう。

かわいそうだった…

私はあの子の満足するように、かかわってやれなかった。

だから、本当にごめんなさいって思う。

中学に入ってからは、林間学校に行きたくない!と言い出し、

その日は、発熱していくことができませんでした。

熱を出したい時に出せるなんて…

どんだけすごい奴!かと思いましたけど…

勉強はさっぱりダメでしたが、友達とはそれなりに

上手くやっていたように思います。

中学3年生になって、私は何とか公立高校に行ってほしくて

受験勉強をするために、塾に行かせました。

本人も望んだので…

う~ん、でも半強制的だったかも…

仲の良い友達も同じところに行くって言ったから、

ラッキー!と思っていました。

はぁ~ しかし、塾に行っても結果はさんざんでした。

まったくやる気がなく、成績も変わらず…

あげくの果てに、塾に行っても初めからやる気なかった!

働きながら通信高校に行きたい!

と言い出しました。

おいおい、待ってよ!通信高校なんか行ったら、

ゆるゆるの生活になるじゃない?!

もう、上の子どもで散々大変な思いをしたから

もう、勘弁してくれー!というのが私の本音でした。

しかも、初めから通信高校って、世間体が気になる。

私は、自分がどんなに勉強ができなくても、最低レベルの高校でも

普通の高校だけは出たいと思っていた。

だから、子どもにも、普通の全日制の高校に行ってほしかった。

親としてのプライド!

だから、通信高校なんて許さない!とにかく私立1本の受験で

いいから、全日制の高校を選びなさい!と強制したのでした。

子どもは、しぶしぶ高校を決め、私立1本で合格しました。

私は、一抹の不安を抱えながらも、これでいいのだ!と

自分に言い聞かせていました。

入学してしまえば、何とかなる!と思っていました。

高校進学にあたって、制服や体操服、その他もろもろを揃え

入学式も無事に済みましたが、初めから行きたくないオーラ全開

でした。

それから、部活の件で私ともめて、もう学校辞めてきなさい!

と冗談半分で言ったら、

もう、明日から学校行かないから!と

子どもが言い放ち、本当に学校に行かなくなりました。

入学式後、約10日の間の出来事です。

私は愕然とし担任の先生や、スクールカウンセラーに相談しました。

そして、担任の先生に家まで出向いてもらい、何とか辞めないよう

説得してもらったのですが、本人はガン!として聞かず

絶対に辞めるという意思を変えませんでした。

あぁ~私が思い描いていた、この子の高校生活は吹っ飛んだ!

特別、いい高校に入って欲しいなんて思わなかった。

ただ、全日制の高校を出てほしい…そう願っただけなのに…

私の普通への憧れは、木っ端みじんとなったのでした。

高校を辞めるとなった時に、親子で激しく言い合いになり

家を出ていけー!と言ったら、本当に家出したのでした。

確か、夜の9時前後だったと思うのですが、家を飛び出し、

どうやら友達の家に行ったようでした。

それでも、メールで連絡が入って、一晩友達の所に泊めて

もらうから!と連絡が入ったので、家の方に電話したら

もう遅いから、一晩預かりますと言って下さったので

お言葉に甘える事にしました。

次の日、家族皆でその家に行き、子どもを引き取りに

行きました。

その家の方が、このまま家に帰すのは子どもに対して気の毒

と思ったらしく、話し合いの場を設けて下さいました。

その家の方が真ん中にいて、まるで子どもと私達とを

ジャッジするような感じで、話し合いに耳を傾けていました。

その家の方は、ちょっと親御さんが固いんじゃないですか?

我が子だったら、学校やめさせますけど…

と言われ、他人ごとだから言えるんだ!と内心怒りが

湧いてきました。

それからは、もう親のいう事は一切聞きません!

自分でやりたいようにやる!といった感じで、

我が道を進んでいくことになったのです。

私は、消えたい気持ちでいましたよ。

どうして、子どもに多くを望んでいないのに、こんな小さな希望まで

私の思いは叶わないのだろう…と。

他の家はこうじゃないのに…

何で私だけ?何で我が家だけ問題ばかりなんだ!って

本当に辛かった。

あの時は、世界で一番自分が不幸だと思っていたのでした。

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