赦せない思い…カウンセリングの後に気づいた事!

赦せない思い…

カウンセリングして頂いてから

気づいた事があります。

それは…

私が自分を責めずに、自分を認めれば認めるほど

親への理解が深まってしまう!

という事です。

そして、自分をかばう分だけ、親の事もかばうまではいかなくても

自然と理解しようとする思いがわいてくると言うこと。

自己受容は他社受容に正比例する!って習ってきたけど

こういう事なのかも…と分かってきた気がします。

自分の本音を大事にする事は、人の事も大事にすることに

繋がっているのですね。

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人を大切に〜

愛しましょう〜

とか言われても

自分をないがしろにしている私は、人のことを愛せなくて当然だったんだ。

無理して、無理して自分のことはさておき

人を受容しよう、しようと思えば思うほど

自分の力以上のことをしなくてはいけないのだから

疲れるはずです。

まず、自分を温めてあげないとね。

外敵から守って、自分を癒し満たす事に邁進する事。

人の反応は一旦横に置いておいて。

恐いけど、悪いけど…

もう、我慢したくないよ。

赤ちゃんの頃は、この存在だけで受け入れられていたはず。

私が今ここに命があり生かされているという事は

やはり、愛されてきた証とも言えるのかもしれない。

とりあえずは、食べさせてもらった。

そう、美味しいものたくさん食べさせてもらった。

食べ物に関しては 120%だ!!!!!!!

情緒的にはほぼ 0に近いけど…

未熟な私が赦されている。

それならば、親も赦されている。

未熟な者同士が赦されているのなら

ただの一人の人間として

親を見てあげてもいいかも…

おっと!うかつに赦しては勿体無いぞ、私。

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焦らず 気張らず そう、自然に

きっと

必ず

心が溶かされて

解放されて

親を赦せる日がくる予感がします。

本当は、心のどこかでは赦している部分もたくさんあるような…

試練の意味も分からない。

どうして、神様が私の親にあの両親を選んだのか分からない。

でも、あの両親でなければならない理由があったはず。

あの環境で育てなければならなかった理由があるはず。

おぼろげに見えているのは

私にはあの両親が最善だった。

私には、どうしてか分からないけれど、

あの傷が何らかの使命のため必要だった。

傷ついてきた人々と痛みを分かち合うため❔

私には、私にしかできない使命がきっとあるのでしょう。

その答えをいつか見出せますように…

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